島田裕巳『日本の10大新宗教』

中学生の頃のことである。中学に上がってから仲良くなった友人がいた。彼は学校のすぐ近くに住んでいたのに対し、わたしは校区の端のほうに住んでいた。

まだ仲良くなって数日しか経っていない頃である。彼からどの辺に住んでいるかと聞かれ、そういえば家の近くには目印となるような建物がないことに気づいた、某新宗教の施設を除いては。そこで、わたしは半分冗談のつもりで、その施設の近くだと言った。すると、彼はこう言ったのである。「あぁ、あそこね。親に連れられて何回か行ったことあるよ。」

気をつけるようになったのは、それからである。軽い気持ちで宗教の話を、とくに初対面(に近い人)とすべきではないということを。

本書はそんな新宗教について述べた本である。日本最大の新宗教にして政治とも関係のある創価学会や、高校野球や花火大会で有名な PL 教団をはじめとして、誰もが一度はそのうちのどれかを聞いたことがあろう。

本書の特徴は、教義そのものよりも、その新宗教が社会とどのように関係してきたかに重点を置いていることである。たとえば現世利益的な教義を掲げていると紹介されているときも、著者の視点は、なぜ人々は現世利益的な宗教に惹かれていったのかという社会的背景にある。このように、あくまでも著者は社会学であろうとしている。

もう一つの特徴は、公平な記述を目指していることである。概して、影響力が大きければ大きいほど、その新宗教に対する好き嫌いもはっきりしやすい。しかし、著者は努めて公平であろうとしている。もちろん、著者の主観的評価がないわけではない。随所に表れる著者自身が施設を訪れてみた際の印象談などはまさにそうである。だが、著者は新宗教それぞれに対して何らかの評価を下そうとはしていない。むしろ、いかに外部からは理解しにくい新宗教を社会との関わりの中で説明するかに力点を置いている。

それにしても改めて感じたのは、新宗教の難しさである。元はといえば、仏教やキリスト教新宗教だったのである。人間が常に変化し発展するものならば、どうしてその人間が信じるものも変化し発展せずにはいないだろうか。逆に、時代の要請に応えない宗教は、それはそれで問題であろう。いわゆる「葬式仏教」などはその典型で、記述的に言えば「仏教が形骸化している」という意味だが、そこには「もっと仏教は時代の要請に応えるべき」という規範的意味も含まれているのである。そう考えると、新宗教だからといって、一括りに良くないものと決めつけることはできない。

その一方で、社会的に問題を引き起こしている新宗教が存在することもまた事実である。

どのように新宗教と接すれば良いのか。この難問に即答することはできないが、一つ確実に言えるのは、相手を知らなければ、こちらの対応の仕方も分かるわけがないということである。その点、本書はバランスの取れた入門書であると言えよう。

 

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)

日本の10大新宗教 (幻冬舎新書)