F.エンゲルス 『家族・私有財産・国家の起源』

マルクス主義は「下部構造が上部構造を規定する」とよく言う。ここで、下部構造とは経済のことであり、上部構造とは政治や文化などのことである。つまり、「下部構造が上部構造を規定する」とは「経済がすべてを規定する」という経済決定論のことである。

裏返すと、経済を完全に分析することができれば、すべてを理解したことになる。「ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ」*1。だからこそマルクスは資本主義を分析することに全力を傾けたのである。

しかし、かれらの最終目標は「革命」であった。革命とは国家(政治体制)をひっくり返すことである。この高度な政治的行為に対して、しかし、マルクスは体系だった国家論をついに書かなかった。

そこで、マルクスの親友エンゲルスの書いた本書を読む必要がある。それにしても、この奇妙なタイトルはなんだろう? 三者の関係性が今ひとつわからない。

実際、比重はかなり「家族」に傾いている。当時最新だったアメリカの先住民に関する研究成果も参照されており、文化人類学に関心がある人は興味深く読めるだろう。

しかし、何よりも注目すべきは、女性の解放を説いた部分である。エンゲルスによると、もともと、古代社会では女系優位だったが、財産が氏族の共同所有から私的所有へと発展し、家庭外での夫の稼ぎが増えたことで、夫が妻に対して優位を主張するようになり、男系優位へと変化していったという。

母権制の転覆は、女性の世界史的な敗北であった。*2男子は家庭内でも舵をにぎり、女子はおとしめられ、隷従させられ、男子の情欲の奴隷かつ子どもを生む単なる道具となった。(新日本出版社、p79)

いまや畜群その他の新しい富とともに、家族の一つの革命が起こった。生計稼得はいつも男子の仕事であったし、生計稼得のための手段は男子によって生産され、男子の財産であった。だから、家畜は彼のものであり、家畜と交換して得た商品と奴隷は彼のものであった。(p218)

「粗暴な」戦士かつ猟人は、家庭では女子に次ぐ第二の地位にあまんじていた。「より柔和な」牧人は、その富をたのんで第一位にのしあがり、女子を第二位におしさげた。(p218)

女性は解放されなければならない。そのためには、女性の社会進出が必要だという。

女子の家事労働は、今では男子の生計稼得労働に比べて影のうすいものとなった。後者がすべてであり、前者はくだらないつけ足しであった。ここにすでに、女子が社会的な生産的労働からしめだされて、私的な家事労働に局限されたままであるかぎり、女子の解放、男子との女子の対等な地位は不可能であり、今後も不可能であろうということが示されている。(p218)

こうして、マルクス主義は、社会だけでなく家庭内にも階級を発見することとなった。

夫は、家族のなかではブルジョアであり、妻はプロレタリアを表す。(p102)

一方、「国家」については、第9章まで本格的には論じられない。レーニンが書いた『国家と革命』では、本書が盛んに引用されているが、それはすべて第9章からである。

どのようにして国家は成立したのか。

まず、「商業の拡大、貨幣と貨幣の高利貸付、土地所有と抵当権にともなって」(p225)社会がさまざまな階級に分裂した。それによって、財産の共同所有と平等を特徴とする氏族制度は崩壊してしまった。そして、氏族制度に代わって、階級間の利害対立を止める制度が必要になった。そうして成立したのが「国家」だという。

国家はむしろ一定の発展段階で社会が生み出す産物である。それは、この社会が、解決不可能な自己矛盾におちいり、払いのける力が自分にはない、和解できない諸対立物に分裂したことの告白なのである。だが、これらの対立物、すなわち衝突する経済的利害をもつ諸階級が、むだな闘争のうちにわが身とこの社会とを消耗しつくすことがないようにするのには、外見上社会の上に立ってこの衝突を緩和し、それを「秩序」の枠内にとどめておくための一権力が必要になった。そして、社会から生まれでながら社会の上に立ち、社会にとってますます疎遠なものになっていくこの権力が、国家なのである。(p228-9)

階級間の利害対立を止めるために作られた制度である以上、国家を主導するのは経済的に社会を支配する階級であるという。

国家は、通例、もっとも勢力のある、経済的に支配する階級の国家であって、この階級がこの国家を媒介として政治的にも支配する階級となり、こうして被抑圧階級を制圧し搾取するための新しい手段を手に入れるのである。(中略)近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道具なのである。(p231)

これが、その後のマルクス主義における「国家」の定義になった。

「国家」の定義づけに続けて、エンゲルス(そしてレーニンも)は資本主義は不可避的に滅亡する運命にあり、「これらの階級の滅亡と同時に、国家も不可避的に滅亡する」と主張した(p233)。

しかし、現実に革命が起きた国々を見ると、「国家」はなくなるどころか、むしろ強化されていっているようにすら思われる。なぜそうなってしまったのか。それは単純に「理性の狡知」では片付けられない問題であろう。

なお、現在、邦訳で手に入るのは、残念ながら、共産党系の新日本出版社が発行しているもののみである。

 

 

家族・私有財産・国家の起源 (科学的社会主義の古典選書)

家族・私有財産・国家の起源 (科学的社会主義の古典選書)

 

 

 

家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して (岩波文庫 白 128-8)

家族・私有財産・国家の起源―ルイス・H・モーガンの研究に関連して (岩波文庫 白 128-8)

 

 

 

国家と革命 (講談社学術文庫)

国家と革命 (講談社学術文庫)

 

 

*1:ヘーゲル『法の哲学』より

*2:太字は引用元における傍点