H.マルクーゼ『理性と革命』

数年前、大学近くの古本屋で偶然見つけて買った本。もっとも、当時は著者について何も知らなかった。ただ、レーニンの『国家と革命』を想い起こさせる書名であったことと、訳者に知っている哲学者がいたことが手に取るきっかけであった。

 

この本は19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルに関する概説書で、全体は二部から成る。第一部は「ヘーゲル哲学の基礎」、第二部は「社会理論の興隆」(主にマルクス主義の紹介と、実証主義ファシズムへの批判)とそれぞれ題されているが、とくに優れていて、かつ今でも読む価値があるのは前者である。

 1941年にアメリカで出版された本書には、2つの歴史的価値がある。すなわち、(1)ヘーゲルに対するそれまでのイメージを一変させたことと、(2)初期マルクスをいち早く紹介したことであるが、ここでは(2)については割愛して、(1)のみ触れる。

 

本書が出るまで(出たあとも根強く言われているが)ヘーゲルには「全体主義を生み出した思想家」という烙印が押されていた。たとえば、20世紀ドイツの歴史家マイネッケはその主著で、ヘーゲルが「理性の狡知」と「国家理性」を唱えて国家を絶対視したことがドイツを誤った道へ導いたのだと厳しく断罪した。

 

そうした烙印に対し、ナチスに追われてアメリカへ亡命してきたユダヤ系ドイツ人である著者マルクーゼは真っ向から反対した。ヘーゲルは「全体主義とは真逆の思想家」であると主張したのである。しかもヘーゲルが自らの思考の中心に据えていた「弁証法」を分析することでそのことを証明したのである。

 

通常、ヘーゲルを紹介するときには、その哲学(理論)に重点を置くか、政治思想(実践)に重点を置くかでずいぶんと取り上げられ方が異なるように思われ る。前者ならば、しばしば取り上げられるのは『精神現象学』であるのに対し、後者の場合には『法の哲学』に注目が集まり『精神現象学』はほとんど触れられ ない。

 

しかし、マルクーゼはヘーゲルの政治思想を理解するには、まずその根本にある弁証法の分析が必要であると考えた。だから、彼は弁証法について詳しく述べられた『大論理学』という、ヘーゲルの著作中もっとも取り上げられることの少ない書物に50ページも割くのである。

 

その結果、マルクーゼは弁証法の特徴を「否定性」に見出す。今ここでは過程を省いて結論のみを言うと、人間は現状(哲学的に言うと「現象」)をそのまま肯 定してはならない。むしろ、それを「否定」することで合理的な自由な世界(ヘーゲル的に言うと「現実性」)を実現しなければならないという。

 

そのことをヘーゲルは自然界の具体的な物レベルから分析し、物と人間の違い(自ら思考できる人間と思考できない物という違い)を経由し、ついには「概念」 という抽象的なレベルに至る。この一連の流れの根底には常に「否定」がある。しかもヘーゲルは自らの弁証法を個人にとどまらず、社会・国家(『法の哲 学』)、ついには世界史(『歴史哲学講義』)にまで適用していく。

 

これが世に名高い(悪名高い?)ヘーゲルの哲学体系である。この壮大な哲学体系を、著者はヘーゲルがまだ神学生だった初期から年代順に、しかし、一貫して「否定性」を軸に解説するのである。

 

だが、本書はよくある無味乾燥な解説本ではない。「哲学者の使命は世界を解釈することではなく変革することだ」というマルクスの名言を実践したような本なのだ。実は、マルクーゼはいわゆるフランクフルト学派の第一世代であった。しかし、同世代のアドルノやホルクハイマーとは異なり、マルクーゼはより直接的な行動を重視していた(戦後ドイツへ帰国したアドルノらに対して、マルクーゼはアメリカにとどまった点でも異なる)。そのラディカルさはアドルノらには疎まれたが、実践面を重視した第二世代のハーバーマスを魅了し、ついには互いに交友関係を結ぶに至ったという。実際、本書のマルクスについて書かれた部分を 読むと、著者がマルクス主義を心から信奉していることがわかる(それでいてスターリン主義ソ連については批判的なわけだが)。戦後、彼は「新左翼運動の父」と称される が、そのことと、戦時中にヘーゲル哲学の「否定性」を強調したこととは、おそらく無関係ではあるまい。

 

全体的に見て、本書はヘーゲル哲学のよき解説書だと思う。しかしそうはいっても、やはり半世紀前の本であることは考慮されるべきだろう。とくに戦後フランスのヘーゲルルネサンスをはじめとする戦後思想にまったく触れられていないのには、さすがに古さを感じてしまう。それでも、ここまでヘーゲル弁証法、 とくに『大論理学』にこだわって解説した本もないように思われる。ぜひどこかの出版社で復刊してほしいと思う。

 

理性と革命―ヘーゲルと社会理論の興隆 (1961年)

理性と革命―ヘーゲルと社会理論の興隆 (1961年)